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心にうつりゆくこと

つまり何なのかということ

こんにちは。午後4時がやってまいりました。

週一かたつむりの時間です。

のろくていいこともあります。

編み物をやっています。かぎ針編み。手芸は極端に苦手なんだけど、できたらなーっていう気持ちだけはあって、キットでやってみたんです。予想通りすごく苦心してるんだけど、もうじき完成。

編み図と説明を見ながら四苦八苦して頑張ってるところ。

やりながら思ったんだけど、

この工程は、つまりどういう形を作りたいための工程なのかってことを考えるとパッと気持ちが開ける感じがします。

どの目を拾うかとか、細かい工程だけを追うと、私のような不器用な初心者はたちまち脱落の憂き目に遭うところですが。

そう考えると他にも似たことがたくさんあった。

三味線の稽古だって。曲を、楽譜を追って一つ一つの音をバチで叩いているだけだったり、歌の言葉も平仮名として発音してるだけになっていると、曲全体や空気が分からないままになる。

この間読んだ本に、ウェブデザイナーの仕事のことが書いてあって、

ウェブの技術やプログラムを

使うことができるだけの人は

賞味期限切れになるのが早い

とあった。

それらの持つ意味、効力、弱点などを

考える人はその先へ行けるということ。

真実はどこの世界でも共通な面を持っているらしい、、です。

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