カテゴリー別アーカイブ: 東京都大田区

街の姿 今と昔

大田区蒲田。

そのイメージは現在、あまり良いものではないと思います。

なぜか、柄の悪いところ、汚ないところ、というイメージを持たれています。

そんな蒲田でこの度、

「蒲田今昔写真展」という催しが開かれます。

とき 10月12日(水)〜16日(日)10:00〜20;00

場所 蒲田の駅ビル東急プラザ 4階イベントコーナー

蒲田はたしかに、駅前なんかはゴチャゴチャしていて

柄の悪そうな人が歩いている気もしました。

でもよく見てみると柄が悪そうに見える人も、

ただ飾り気がなくてちょっと品がない(?)だけっていう場合も多いです。

そうして、例えば居酒屋のような場所で話してみたりすると、

苦労人が多くて

いろんなバックグランドを持った人たちだということがわかります。

蒲田は、例えば昭和の初め、戦前のころには

松竹映画の撮影所があって

「流行は蒲田から」

と言われるくらい、

俳優さんたちが集まるモダンな憧れの場所でした。

そのほか、大倉陶園や三省堂印刷所、各務クリスタルなどの会社も集まっていました。

地方から東京を目指してやって来た多くの人が

夢を追って働いていた一大舞台だったわけです。

今回の東急プラザでの写真展では、

おもに昭和30年代の蒲田の写真が出品される予定です。

したがって、その時代の空気を実際に吸っていた人たちに、

写真の中の世界のことを話してもらおうという企画も混じっています。

古い写真は、ただ漠然と見るだけでは

「シロクロでレトロだな〜」で終わってしまいます。

ところが、そこに写っているもののすみずみにまで

時代の空気が満ちているのです。

たとえば、先日は、

昭和30年代の蒲田駅前工事現場の写真で、

今でいう「コーン」の形について、いろいろあった、と話している人がいました。

看板も写っているので、

店の名前などを覚えている人がいるにちがいないとも思います。

ささいなことこそ知られないまま、

だれにもわからなくなってしまうことが歴史上にあふれています。

街も人も魅力があるのに、不当に(?)

「治安の悪い街」のような汚名を着ている蒲田よ、

その汗と涙と笑いで形づくられてきた道筋を少しでも知らない人たちに伝えて、

以前そうだったように、

住民からも通りがかりの訪問者からも愛される街に

少しずつでも変わっていってほしいぞ〜

みなさんの街は歴史と現在の姿とで一致しているでしょうか、

それとも変貌しているでしょうか。

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池上本門寺 松濤園 一般開放

大田区の名所、池上本門寺内の庭園、松濤園が

5日から11日まで一般公開されています。

行ってみました。

朗峰会館という建物の向こうに

こんな庭園が隠されていたなんて!

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そして、

平成二年に移築されたという2つの茶室も、

雰囲気があります。

かたほうのものは2部屋あり、

私が去年まで住んでいた

東京・多摩地域の貸家と広さがあまり違わない感じです。

住みたい〜なんて思っちゃいました。

住んじゃったらあの美しい床の間の横に

本なんか積み上がっちゃったり、

プラスチックケースが置かれちゃったりして

台無しになっちゃうんだな。

持ち物を少なく・・と思っても

生活するにはやっぱりなにかと要るしね。

しばし、蝉の声と緑の間で気分が変わりました。

P1020644

行って説明板を見て知ったことには、

この地がかの有名な

幕末の江戸城無血開城の会見の場だったということです。

江戸総攻撃をすれば

「この」江戸の街が灰燼に帰するんだと、

眼下に街を見つつ会見したという場面を読んだのは、

司馬遼太郎の小説だった、

という人も多いのではないでしょうか。

絵にもなっている(誰の筆だったか??)

羽織袴姿の勝海舟と洋服姿の西郷隆盛、

歴史の一大事件の舞台がここだったのか、

と思うと

この蝉時雨が特別なものに思えてきます。

そのときの四阿はさすがにもうないということですが、

この踏み石はもしかすると

そのとき二人が踏んだものか・・なんて想像するのは楽しいです。

けれども、

御一新はすでに歴史の彼方の出来事となっていて、

無血開城の談判の場所にも諸説があるらしい。

『氷川清話』

は勝海舟の話を吉本襄が聞き取ってまとめたものですが、

それによると、

場所は田町の薩摩屋敷だったとある。

海舟の話は、全体に痛快でおもしろくて

感心することの連続だが、大風呂敷もあって

細かいところにはまちがいや記憶違いも多いらしい。

文庫版の注記には、

談判の場所がどこだったかは論の別れるところだ

と書かれている。

それはそれ、この場合は横へおいといて、

白い木槿の花や緑陰に

往事を偲ぶ感慨をいただくことができるのが大切です。

P1020651

『氷川清話』は私がいま関心を持っている

「聞き書き」という活動においても

大きな事跡となっていまして読み応えがあります。

歴史では当事者が語ることが必ずしも真実とは言えませんが、

勝海舟の場合は、やったことがあまりにも大きくて

その後の歴史に与えた影響も巨大であるだけに

多少の誇張は許せてしまうのが実際でしょう。

業績の内容のほかに、

その肝の大きさとか生き方、考え方、人の見方など、

「大きい」人はこんなかな、と

心の面で感じ入ることだらけな本です。

そして江戸口調がさっぱりしていて気持ちいい。

庭園開放に合わせて

宝物館である霊宝殿もこちらは有料ですが

普段は日曜のみ開館のところ毎日開いているそうです。

私は知らずに閉館ぎりぎりに行ってしまったので

日を改めて見たいと思っています。

無血開城関係の手紙も出ているそうです。

P1020658


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図書館を利用して扇子をもらえました

近くの図書館で、7月8月の2か月間に8回、
本やCDの貸出で利用したら扇子をプレゼント
というキャンペーン(?)をやっていました。
私はわりと頻繁に図書館を利用するので、
そのくらいは該当しそうだと思いキャンペーンに参加しました。
そして、29日にめでたく8回目の利用となり
扇子をもらいました!
図書館を利用するのには料金もいらないし、
ただいつもと同じ行為をして賞品をもらえるんですからいうことない〜。
ほねもちゃんと木でできた扇子でしたし、ありがたいわ〜。

大森〜蒲田界隈の昭和ばなし

東京の南部・大森に住んでいる。

住んで1年にもならないけど、または、ならないので、

この辺りは昔どんなだったのか興味がある。

近い昔について知る人たちに聞いたりする機会が

それほどあるわけでもない。

そんなことを思いながら図書館の本棚の間を歩いていると

『古董屋アルジの時代ばなし』という本が目にはいった。

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何気なく開いてみた。

蒲田で「翠石堂美術店」

という店をやっていた高橋功一さんという方が

永年書きためたものを本にしたもののようだ。

平成4年の刊行。

口絵に昭和20年代30年代の商店街の人々や工場の人々、

蒲田駅50周年記念アーチの写真なんかが載っていて

その頃の大田区の空気を吸った人の生の姿を感じる。

詩吟や浪曲に合わせて踊る「組踊り」を披露する

衣装姿の著者が決まっててかっこいい。

こういう義士外伝や近藤勇などを

結婚式や何かの会で踊るのって見ないな〜最近。

近くの平和島駅辺りの商店街の由来なんかが書かれていた。

戦前まで、大森随一を誇る商店街で、

毎日お祭りのように夜店が出そろって賑やかだった。

照明灯のカーバイトが夜空を明るくするほどだったと。

カーバイトはいまの露店用の裸電球の代用品。

露店を取り仕切っていた土地の親分は平林角蔵といい、

地元にある海難供養塔建立に貢献して名をとどめているとのこと。

いつの海難だろう。調べてみよう。

そういえば、この本を借りた図書館の脇になぞの石灯籠があって、

よくよく説明板を読んでみると、

戦前には海岸のほうにあった灯籠で

地震で上のほうや一部が欠けてなくなって

近くの寺に置かれたりして転々としたあと、

復元して今の場所に落ち着いたということ。

気をつけてみると日常通る場所に過去の名残りがあるんですね。

大正7年に東海道が拡幅される話が持ち上がったとき、

その商店街・美原通りの人々が

立ち退きに反対して道路はその西側に新設されたとのことです。

明治5年に鉄道が開設されたときも

郊外の一寒村だった大森は海苔採取と麦藁細工に明け暮れる場所で、

オカジョウキは煙を出し、ローガイ(肺病)になるし、

火花で火事がおきるから

線路が通るのをふせがにゃならないと運動したんだそうで。

近くの平和島駅あたりが昔どんなふうだったかのか

想像するよすがになって楽しいものです。

戦後、20年代から30年代の初めごろには、

大森白木屋の人形売り場の売上は

大森海苔業者の今年の出来具合の景気で左右されたほどだった

という話なんかも

書いておかないと誰にもわからなくなってしまうことだな〜と思う。

聞き書きっていう活動があって興味をもっている。

この高橋さんのように自分で書いておける人はごく少数で、

多くの人はだれかが尋ねれば語ってくれるけど、

そうじゃなければ記憶をそのままあっちの世へ持って行ってしまう。

聞いて残しておきたいことが身近にたくさんある。

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大森海辺の古き時代と現状

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雨がほぼ上がっていたので自転車で近所を散策。

同じような人たちで、商店街はけっこうにぎわっていました。

銀行の通帳に記帳したくて、

ま、この際、三井住友銀行がこの界隈でどこにあるのかも

ちょっと探してみようというつもりもあってあちこちしました。

最寄りの大森町駅前にはない模様。

ではとなりの梅屋敷もすぐだからと足を伸ばしてみることにする。

梅盛会商店街を行くが、東口には見あたらず、

〜そういえば、この商店街の喫茶店「琵琶湖」(?)がセピア色の喫茶店の紹介みたいな本にのっていたのでいってみようと思ってなかなか行けません。〜

とうとう線路を越えて西口へ。

ここにも昔からやってそうな魚屋さん八百屋さん小スーパーが

あってひとつの商圏が形づくられていました。

昭和30〜40年代に栄えたと思われる

二階建ての木造アパートも散見されて

古いもの好きなわたしなどには見応えあります。

産業道路ぞいにもまだ看板建築風な家屋が残っています。

中でも写真の家は、貫禄で突出していました。

部分的に荒れているので空き家? と思いましたが、

以前、店の出入り口だったらしき場所は

きれいに片づいて火鉢なんか置かれています。

今は??営業していてもこの家屋じたいは主な窓口ではなさそうです。

だいたい商売もなんだかはわからないけれど、

運送業か、海苔問屋か?という感じでしょうか。

こんな家屋で商売をしていた時代をこの目で見てみたいです。

三井住友Bの自動機は梅屋敷の西口にありました。

帰り道わからなくなりながら、自転車散策を楽しみました。

大森駅近くで、二階建て木造アパートというか下宿屋さんが

壊される光景を最近目にして惜しいと思いました。

建物の活用方法を提案しあえるような機会があればと思います。

小さなお店をやりたい人々が集まって

建物ごと商店街にしたりすると楽しいと思うんだけど。

周りにもっと人がたくさんあつまる観光資源があるところや、

原宿みたいな場所でもないと難しいんですかね〜。

土地が高いからマンション業者にみんな買われてしまうんですね〜。

マンションばっかりの地域って魅力ないんだけど本当は。

マンション作るにしても空いてるところ

全部アスファルト、駐車スペースっていう

脳のないプランはやめてほしいですね。

地主さんも代替わりしたりして古い建物が建ったまま

その土地を持ち続けられる人はそう多くないんでしょう。

私がみたその場所は、下宿屋さんに隣接する通り沿いには

看板建築の空き店舗が並んでいたんですが、

一緒に壊される運命のようです。

いつかは消えるのが万物の運命だから

古い物古い物と固執しているのは空しい悲しみなのかもしれません。

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