カテゴリー別アーカイブ: 本

おりおりの久保田万太郎

「悲しいことがあると

開く革の表紙・・・・」

ではないですが、

季節がうつろうと取り出す書物

ってありませんか?

久保田万太郎の俳句集

って、わたしにとってそういう書物のひとつです。

生きているときは、毀誉褒貶あった人らしいですが、

その作品は、今もわたしたちの心に

さびしいような昔恋しいような感情を持ってきます。

わたしにとっては、一時期、東京の根津に住んでいたころ、

浅草や入谷や根岸をよく歩いたので

そのころの思い出と相まっているな~

と感じます。

 

おりおりの俳句や短文や小説を読むと、

古い時代の東京下町に暮らした人たちの

息づかいが甦ってくるようで、

想像をかきたてられるのです。

静かで慎ましくて身の程をわきまえていて・・

っていうんでしょうか。

そういう暮らしぶりを、忘れないでいたいな、

という感情とともに。

梅が咲くころの久保田万太郎俳句ひとつ。

長火鉢抽斗かたく春の雪

 

当時の役者さんや地方さんたちの消息も出てくるので

そんな興味も手伝っています。

(實川延若、毎日演劇賞をうく)

火をふいて灰まひたたす余寒かな

 

こんなことを考えていると

「もっと古本市に行きたいな~」

という気持ちがにわかに高まってきます。

金曜土曜に労働していると、

なかなか神保町の古書展にも行かれないし~

人生はそんなふうにして過ぎていくのであった・・・

っていう実感です。

 

『現代俳句文学全集 久保田万太郎』の装丁

 

 

君子の交わり淡きこと

堀口大學聞き書き『日本の鶯』という本、読んでます。
関洋子さんのお仕事。
歌舞伎役者さんのことを書いた本を数冊、おもしろく読ませてもらってた方。

堀口大學って、萩原朔太郎のことを「萩原くん」って呼ぶような古い(?)人だったのか・・

最初のほうですでに何箇所も、共感したり、驚いたりする内容が多くて、
じっくり読んでなかなか前へ進まない、っていう状態です。

中で

「君子の交わり淡きこと水のごとし、
小人の交わり甘きこと醴(れい)のごとし」

という言葉が紹介されていて、「したり」なんて感じ入ったりしました。

佐藤春夫が、
太宰治に泣いて頼まれて
「東陽」という雑誌に原稿をとりもってやったとき、
「不変の敬愛」とか「命かけての誠実」とか「大恩人」とかいう言葉で
言ってこられるのを
小うるさく感じて挙げた古人の言葉なんだそうですが。

醴は甘酒のことで、
小人の交わりはベタベタと甘いばかりだと言っているそうです。
わかる~
とても賛成する~

佐藤春夫は太宰治を嫌っていたわけではなく、
むしろ文学青年として深く思いやり、
面倒をみていたことは確かだけれど、
ときにうっとうしかったというわけで。

だんだん人間をやってる期間が長くなってくると、
自分より年少の人々の言動がうっとうしく、青臭く感じることが
ままあります。
それでも、自分も以前はあんなふうに不愉快な代物だったんだろう、とか
あと十年二十年すれば彼らも相応に分別くさくなったりしていくんだろう、とか
思ったりしますけど。

大學さんと佐藤春夫も、二人でそんな話をしたことがあったと書いてあります。
というよりは、佐藤春夫が、太宰治のことを
不勉強で生意気で人の気心を知らない、ひとりよがりで人を人とも思わぬ、
そのくせ自信のまるでない・・・
とか言って止まらなくなっていたのを、
大學さんが上のような内容を言ってなだめる、という場面が紹介されています。

今の若いもんは・・は太古の昔からのくり返しなんですからねー。

で、
「君子の交わり淡きこと水のごとし」
には、はなはだ共感します。
比べるべくもないけど、
わたしも日常の付き合いはこれに限ると思っているほうです。

ちょっとベタついてくると、すぐに離れたくなるたちで。
そんなとき
「サヨナラだけが人生だ」
という言葉を心の中で勝手に誤用させてもらっています。
井伏ファンならだれもが知っているフレーズっていうのが
いくつもあって、そのひとつかな。
あと代表的なのが、
「ところが会いたい人もなく
阿佐ヶ谷あたりで大酒飲んだ」
っていうところか・・

名文句・名セリフは、
いろんな局面に応用できるのが名文句・名セリフたる所以ですね。

グラス詩画集『蜉蝣』についての文章で蕎麦屋で一合のお酒なんか飲みたくなる

ギュンター・グラスが詩画集『蜉蝣』を出版したことについて、
ある方から聞いて知りました。
そして、その方が朝日新聞に書いた文章を
読ませていただきました。
ドイツ文学について、昔かじったことがあるけれど、
もう縁もゆかりもなくなって30年も経ったので、
読んでもわかる自信なし・・。
でも、日本語なので、いちおう「読む」ことはできたというわけで。

『蜉蝣』のなかには、
「老人になって思い出す自身の過去への感慨がある」
と、書いてありました。

この「感慨」は、もっと詳しく言えば、
後悔というほどではないけど、
渋面になったり、
口元を軽くへの字に曲げたりする種類の
「感慨」なのかなー、と思います。

老人でなくても、わたしくらいでも、
これまで生きて来たなかにいっぱいあるその種の「感慨」。

だけど、そのときそのときで、一所懸命考えて判断してしたことだから、
そんなに自分を責めないでもいい。
現在の自分の身の日常茶飯事に触発されて
過去のたくさんの判断を
訂正しようか、と反省したりしなくていい。
自分の過去へのそういう対し方を
「哀愁」と思わなくたっていいじゃないか、っていう気がする。

そのあたりについて、
少しのお酒と少しの肴とともに、
あっさりと話し合えるような人と、ひととき過ごしたい、
なんて思わされる文章でした。

年の暮れは、芝浜・掛け取り

サライの付録に落語のCDがついていました。

志ん生の「芝浜」

円生の「掛け取り」

年の瀬の噺ということで季節を楽しめる内容。

はや年も暮れてきました。

年の瀬の雰囲気を味わえる文学は、

久保田万太郎・・

年の瀬をはじめ、冬のイメージがあります。

なんとなく寒々しい明治大正の浅草あたり。

酉の市の様子なんかが描かれたり

着ぶくれた姿で火鉢に当たる市井の人たちが

行き交っていたり。

きのうは冬至。

ちょうど柚子もあったことだし、

うちでも柚子湯にはいりました。

それで、かぼちゃも前の日に安いから買っておいて

ちょうどあったので、食べました。

今回は、ブログで行き来のあるoishippoさんの

トマト缶とサバの水煮缶のお料理にかぼちゃを入れちゃいました。

けっこういけました!

むかしなら、

「日毎に霜はいよいよ白い」

っていう時節ですね。

久保田万太郎作品を上演している

「みつわ会」公演。

今度の三月は

「雨空」

「三の酉」。

都合とお財布が許せば行きたいと思っています。

で、久保田万太郎の俳句集を広げて

どれか年の暮れの句をひとつふたつ載せよう、

と思ってページを繰っていると、

いつの間にか

どんどん句を読み進んでいき、

ブログ記事をアップするまでに

ひどく時間が経過してしまうのでした。

久保田万太郎の年の瀬の句から

ゆく年やしめきりてきく風の音

ゆく年や蕎麦にかけたる海苔の艶

久保田万太郎の句や文章からは

さびしくて美しい、ふつうの人々の息づかいが

伝わってきます。

そこに惹かれていつも心の底にそのトーンを持っています。

 

高峰秀子『人情話 松太郎』

高峰秀子さんの本はいくつか読んだことがあって
いずれもエッセイのような本だったと思うが、
これは
『人情話 松太郎』
という題名だった。

小説か脚本のような題名だし、なんだろう? と思って買った。
そうしたら、川口松太郎と著者の対話形式になった
聞き書きとも言うべき内容だった。
川口の話を江戸風の口調をそのままに記録したい、
という意図で成った産物らしい。

いろんな話の中で、
昭和21年に撮影された(途中までされた)
阿部豊監督、池部良の丑松、高峰秀子の志保の
『破戒』という幻の映画があったことに話が及んでいた。

60人余りのスタッフと俳優たちが、
長野県の善光寺に近い宿屋に陣取って撮影に精出した。
監督も相当なねばり屋だったが、
小原穣二カメラマンがそれに輪をかけたスゴイ人で、

 

「あの山の上に、ポッカリと白い雲が出ないうちは、カメラをまわさないからな」

 

とカメラの後ろに腰をおろして腕を組んだまま

ちっとも動かなかった。

何日待っても「ポッカリ雲」は出ず、

それを待っているうちに、

丑松と志保のラブシーンの背景になるリンゴ畑のリンゴが

一つ残らず地面に落ちてしまったんだって。

 

それから後のロケーションにはいつも

助監督さんが果物屋をかけずり回って買い集めたリンゴの箱が

現場にうずたかく積み上げられていて、

スタッフみんなは言うに及ばず、

白絣に木綿の袴の丑松も、桃割れ姿の志保も

撮影前の小一時間ほど、

リンゴを木にぶら下げる作業で忙しかったんだって。

そうこうするうちに、東京から

ゼネラルストライキだから即刻引き上げるように電話がはいって

『破戒』は立ち消えになってしまったのだそうだ。

見たかったねー、その映画。

 

監督あるいはカメラマンのこだわりようは、今もあるようで、

たしか、『武士の一分』で

敵討ちの場面のとき、

山田洋次監督が、

風が周囲のススキを揺らす、

その揺れ方が丁度いい感じになるまで撮影を進めなかったとか、

聞いた気がします。

画面の効果としてだいぶ違うんでしょうね。

全然揺れないのとか、大風すぎるのとは。

 

話者二人は、永年演劇界、映画界で

いろんなことをくぐり抜けてきた苦労人というべき人たちだけあって、

それぞれの話がおもしろいのと、

それぞれの生き方がにじみ出ていて

がんこさがまた気持ちいい域に達しているようです。

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