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文化・芸術

山本順之さんの姨捨を見た初心者の短い感想

山本順之さんの姨捨を拝見しました。

これまで何度かしか

能楽堂という場所へ足を運んだことがない初心者なのに・・

話の内容を少し読んでおいただけで・・

橋がかりをしずしずと出てくる老女の姿が

観客を別世界に運びました

お能の魅力のひとつって、こういうところかな、と感じました。

しがらみでもがく人々を、

すーっと静寂の中へ引き入れていく感じです。

所の者が姨捨山の伝説などを語るところでは、

初心者らしく眠くなってしまいました。

野村万作さんが朗々と滑らかに語っていたのに・・

二度目にシテが現れる姿は、

最初のときよりいっそう、

この世のものでない感じが漂っていました。

そして、完璧なまでにうつくしい佇まいだったと思います。

「はーー・・」

っと目を吸い寄せられる感じ。

囃子の荘重な音も大きな効果を生んでいるんでしょうか。

舞いの美しさ、声と言葉の格調の高さに圧倒されたというのか。

崩れのない美に触れると、

自分というものが清く矯正されるという気がします。

「有為転変」とか
「むかし恋しき」とか
「月に馴れ、花に戯るる秋草の」とか
「返せや返せ、昔の秋を」とかの言葉が、

聞いて快いです。

そうして、舞う老女も宴をともにする都人も、

やはり去って行くものであることを思う。

現在なんだかんだと小さなことに心を煩わされている

わたしたちもまた、去っていくもの。

どんなに嘆こうがどんなに名声を得ようが、

時間の流れとともにあるだけだ。

去っていったあとに、山々と月が残るだけなんだ。

と、茫然となりました。

はたしてこのお能が

こういうふうに感じるべきものなのかどうかはよくわからないけれど、

芸術って、こんなふうに

見た人が、考え方や生き方にまで影響を受けたり

精神的に洗われたりするためにあるのかもしれない、

などと思いました。

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