ラジオが好きだ。
20代、30代、そして、40代もこの間までは、外に出ることの多い生活だったので、ラジオは、聞ける機材さえ家になかった!
(家の中をよく探したら携帯用ラジオがひとつと、非常用懐中電灯についてるラジオはありました)
そこで、ラジオが聞きたくなったとき、ヨドバシカメラのカードについてたポイントでCDラジカセを新しく購入したくらいです。
聞き始めてすっかりラジオ党になりました。
そんなとき、
NHKアナウンサーの村上信夫さん著『ラジオが好き!』
を本屋さんで見かけて買いました。
ラジオは、いろいろな人からお便りが来てそれを紹介することも多い。
「こんなに幸せ!」という内容もあるにはあるが、そういう明るいだけの話題は、それほど魅力がない。
日常のささやかな風景、記憶の彼方にいる人々の姿、
という話は聞いていて心に沁みます。
「まだ寒い日々ですが、わが家の庭にメジロの夫婦がやってきました。日
射しにメジロの緑色の体が映えて、春が近いことを感じます・・」
というなんでもないお便りが、
日本のどこかで、そういう光景が繰り広げられていて、それをながめている人がいるんだな、と想像することが楽しいと思う。
そして、
その人の家はどんなところかな、
庭にはどんな木があるのかな、
メジロを眺めたのは台所仕事の合間なのかもしれないな、
こたつにはいっている家族の人にメジロが来ていることを言ったかもしれないな、
なんてことも想像したりします。
そんなとき、ある人は故郷の家のことを思い出すかもしれません。
小説の一場面を思い起こすかもしれません。
短いお便りから、いろんな感慨を催させられるのが、ラジオを聞いてみて意外な発見であり収穫でした。
気張った生活の中でしばらく忘れていた感動の涙なんかを浮かべたりすることさえあります。
あの人の投稿をしばらく聞かないけど、患っていらっしゃるんじゃないかと、気に掛けたりする、リスナー同士のつながりもあると、この本を読んで知りました。
顔も知らない人同士が、ラジオの上でどこかの人の暮らしを思い浮かべ、一日のどこかのひとときに相手のことに思いを馳せる、って、なんだかすてきです。
実は昔からあったことのような気がします。
そういう一瞬訪れる心の動きを描いている小説があったような。
そういうことを描ける人が良い物書きだったような。
だれだったのか、思い出したい。
秋山ちえ子さんの『かわいそうなゾウ』の朗読。
毎年8月15日にTBSラジオでやる、と先の本に書いてありました。
そのこと自体は忘れていたのですが、たまたま、9時過ぎにTBSラジオをつけていました。
そうしたら10時から秋山さんの朗読が生で聞けると言っていました。
秋山ちえ子さんは、TBSの『秋山ちえ子の談話室』を通算45年続けた方で、女性ジャーナリストとして先駆者的存在の方。ご著書もたくさん。
『かわいそうなゾウ』は、読んだことがあり、あまりにもかわいそうで、読むが辛いので、朗読も、秋山さんの声を初めだけ聞いてやめとこうか、と思ったのですが、やっぱりおしまいまで聞いてしまいました。
短いお話ですしね。
「13日目に死にました」って、余計な飾りのいっさいない言い方が、悲しさをいっそう掻き立てました。
なんてかわいそうなんだろう・・
なにもしらないゾウが。
動物園の人たちが声を上げて泣いている様子を想像しても、やりきれなく悲しい。
ラジオのいいところは、秋山さんによると、例えば、
「横につながる身内意識が持てること、
想像力を巡らすことができること、
意見を考えることができること、
話し方や声に慣れると安心感がもてること」など。
94歳の秋山さんは、今も毎日2000歩歩くようにしていらっしゃるとのこと。
今朝聞いていると、秋山さんは、
「いまは・・・」という、昔は良かったけど現在は悪くなった、という方向の発言はしていらっしゃらないようでした。
私ごときがたまに、「今は・・」なんて、言ってしまう自分に気づいて反省しているので、改めて、気持ちを入れ替えたくなりました。
長く生きているうちに、成功ばかりでなく失敗も重なり、
やがて失敗のほうが数が多くなってくると、そんなことを言いたくなってしまうのかもしれません。
鎌田實さんの「がんばらないけど、あきらめない」という言葉の程の良さが身にしみます。
明日の成功は今日始まる。