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文化・芸術

菊池寛・自分の限界を知りできることに才能を使う

菊池寛という人は、自分の才能を知っていた。
それは、才能が限りないことではなく、限界があるということを。

しかも、才能ある他人を引き立ててやることを惜しまない人だった。
そこが偉いと思う。

そして、生活が不如意ならばお金を貸してやるっていうんだから。
現代に置き換えたらなかなかできることじゃない。

上林吾郎さんが、「田原坂長恨譜」という脚本を書いて応募したとき、
菊池寛から手紙が来て文藝春秋社へ行くと、

「君、この芝居、僕の名前ならすぐに猿之助がやるよ」

って言われたことが書いてある。

取り違えると横暴な言いぐさのように聞こえてしまうけど、そうではない。
若い無名の作者にチャンスをくれようとして
わざわざ呼んでくれた場面なのだ。

それをきっかけに上林さんの第二作目の脚本「大湖船」も
雑誌「東宝」に載り、
「母の自信」という作品は菊池寛の戯曲研究会の「脚本集」に載って、
金杉惇郎・長岡輝子で、
続いて柳永二郎の娘の柳百合子・森雅之で上演されたんだそうです。

そうやって、これからの人にチャンスを与えていくことを
使命としてあたりまえのようにしていたのが菊池寛だったのでした。

しかし、こんなことも言っている。

「二十五歳未満の者は小説を書くべからず、という規則をこしらえたい。
小説は、文章や技巧などではなく、
生活を知り、人生に対する考えをきちんと持つことが必要なのだ。
小説はある人生観を持った作家が、世の中の事象にことよせて、
自分の人生観を発表したものなのである。
だから、小説を書く前に、まず、
自分の人生観を作り上げることが大切だと思う。」

考えてみればもっともなことです。

知ったかぶりした小説なんか読むのはいやだ。

納得できる相手には援助を惜しまない潔いあり方だと思う。

いろんなことの草創期には決まった常識のようなものがなくておもしろい。

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