カテゴリー別アーカイブ: 心にうつりゆくこと

また失敗しちゃいました・・ことばが足りず

ことばが足りずに失敗することが多いです、わたし。

細かいことを確かめるとうるさがられるだろう、
うるさがられたくない、
という思考回路がわざわいして。

対人関係をそれで損なう、
損なったと思い込む、
そういうことがしょっちゅうあります。

で、自分からその場を離れていきます。

だから、どこへ行っても「異邦人」でいることが多く、
今ではそれがかえって安心できるのです。

そういう生き方って「損」かもしれない、
って思うこともあるけど、
性格を変えることはできず。

「そういう生き方」とか、深く考えなければいいんだとも思う。
フラットにそうやって生きていけば。
もっと、親しい友だち作ればいいのかなあ、とも思う。
少なくていいから、気持ちを分かり合える友だちを。

ことばが足りずに誤解されることが多い。
ことばを増やせば「うまく」生きていけるのかな。

ことばをたくさんしゃべると、違った煩いが生じて来そうだ。
口から出すことばの数は、増やさないでおこう。

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いつも使うものに「心」を。不細工でもひと針ひと針

ハンカチとかいつも身近に使うものを、
なにかしら心の通ったものにできたら・・

なかなかそんなことまでできない慌ただしい日常だし
やろうと思っても、どうやって??
っていうのが現実です。

でも、そうしているうちに
人間、年を取っていくもの。
何かしら心に落ち着きを。
ってことで、ハンカチに自分で刺繍をしてみることに。
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「手作りっ気ゼロ」歴50年。
だから、できるのは、かなりガタガタな不細工バージョンです。
けど、心がだいじ!

ドラッグストアで10枚組で売っている薄いガーゼのハンカチ。
毎日どんどん使うものに、少しの潤いを加えることができると感じます。
着物のふところに入れるのにも、薄いのでかさばらずに調子よいです。

夏の日焼け防止用のアームカバーは、
FELISSIMO フェリシモで売っていたチャレンジド(チェレンジド・クリエイティブ・プロジェクト)
の製品を買いました。
IMG_1145
>>フェリシモ チャレンジド・クリエイティブ・プロジェクト 裏シルクで心地よく日差しから守る ハンドステッチタグのパッチワークアームカバーの会
同じくひと針ひと針刺した部分があるので。

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このタライの17年の歴史

もともと物持ちがいいほうでした。
壊れないでずっと使うものが多いです。
↓このタライもそのひとつ。

これを買ったのは、2000年ごろ。
文京区根津に住んでいたとき、
「あんぱちや」という荒物屋さんで買いました。

060711_0649~0001

↑ そのあと2005年に引っ越した先で、
地域猫が子猫を生んで、
しばらくこのタライをネコの親子に明け渡していました。
5匹いたっけ・・
5匹もいたので、次第にエサが不足したのか
母ネコのクロちゃんが、生き餌を採って
与えていたっけ・・・

そのタライは、現在も現役で、
ついこの間、冬の帽子を洗ったのがこちらの写真です。
IMG_1126

まさかこんなに長く使うとは思っていなかったけど、
あっという間ではありました。
こうなるとタライも一生ものですね。
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始めて30年、休んだのが10年・・

琴と三味線を趣味でやっていまして、
たまに、発表会があります。
小さなホールでのことが多いです。

会が終わったあと、いつも思うのは、
「舞台でいい演奏をするのはむずかしい!!」
「舞台で演奏するにしては練習不足だ!!」
ということです。

「いい演奏」って、いろいろあるけど、
私が目標にしたいのは、
聞く人に快い、好感の持てる演奏、
っていうことかなあ、と思っています。

よく練習したつもりでも、舞台の上でお客さんを前にすると
ちっとも正確に弾けないものです。
「正確に」っていうのも、趣味でやってる者としては
ひとつの壁と言えると思います。
まずは「まちがえずに」っていうことが
むずかしいんですから・・

いっしょに出てる人たちや、
違う会の人たちが堂々としているのを見るにつけ、
みなさん普段、どんなふうに練習しているのかなあ~
などと思います。

それでも、好きなのでやめないで続けているわけです。
始めてからは30年くらいだけど、
途中で休んだ期間が10年くらいあったから
やってるのが20年か・・
案外短いな・・
っていう実感です。
きっとこれからも続ける・・
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芸事の免状は、自分の中の区切りの役割

お稽古ごとをやっています。
お琴と三味線です。
これまで、免状を持ってる人がうまいわけでもないんだから
わざわざお金を出して免状をもらう意味、まったくわからん。
と、思ってぜーんぜん免状もらっていませんでした。

そういう気持ちは今も変わらないのですが、
試験を受けて免状をもらいました。
なぜもらうことにしたのか?
ここに書くとで自分なりに整理してみると、

* 教えてくださっている先生への感謝を形にする。
* 試験を受けることで練習期間も含めプレッシャーの中で弾く経験をする。
* 「またがんばろう」と思い、練習に区切りをつける。

ということかなー。

とくに先生への感謝、っていう側面が大きいことに
もらってみて思いました。
はずかしいことに、これまでそこに心が及んでいませんでした。

好きで続けているお稽古ごとなだけに、
なんとなくやめないけど、緊張感なくダラダラとやってる、
っていう状態になっちゃいます。

試験を受けてみて、免状に意味がないわけじゃないな、と
感じることができました。
遅いけどやっと・・
「皆さま、ありがとうございます。」
とまわりの人に感謝する気持ちっていうのも改めて感じました。

帰宅後の自撮り記念写真(苦笑)
20170321

身内に京都のおみやげでもらった帯留めを記念にしていきました。

IMG_0970にゃー

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